36歳で無事に一人目を出産し、一年経過したころ、「やっぱり一人っ子より何人かいた方がいいよな~」と思い、妊活に入りました。
当時37歳。出産は38歳でした。
一回目の妊活で、妊娠しやすい身体ではないことは自分でよくわかっていたので、妊活を始めるにあたっては結構気を入れて取り組んでいかないと難しいとわかっていました。
まずは、前回同様に基礎体温の測定から始めました。
やっぱり高温期は短かったので、躊躇なく前回と同じビタミンEのサプリメントを買って来て飲み始めました。
ビタミンEのサプリメントは一人目の産後に思うように母乳が出ず、早い段階で母乳育児を断念させられたのですが、それでも最初のころは母乳で頑張ろうとしていたので、その時にもビタミンEがいいと聞き再び飲み始めたのですが、一人目の断乳してからは飲んでいなかったので、改めて補充する感じになりました(^_^;)
この効果もあったのか、二回目の妊娠は比較的に早い段階で成立しました。。。
が、今思えば、この二回目の妊娠で私が後悔したのは「マカ」などで活力不足を補うことを怠ったことです。
というのも、確かに二回目の妊娠は取り組みから早い段階で成立したのですが、妊娠検査薬で陽性が出てから産婦人科に行き、妊娠確定してもらう時のこと、エコーで確認している時、先生に言われたのが、「ちょっと小さいね~。子宮内に血豆があるね~」ということ。
そして、妊娠は確定してる段階だったけど、一人目の時と違ってその時のエコー写真はくれませんでした。妊娠継続の可能性が100%じゃなかったのかもしれません。
栄養が足りてなかったから卵が小さかったのかな?と思う気持ちもあります・・・。
(※ちなみに一人目の妊活の時はこちらのマカを飲んでました→マカで赤ちゃん。こだわりのマカ。)
でも、たまたまうちの第二子は、何とか血豆の存在も飲み込んで、小さいなりにも成長してくれ、無事に育だち、なんとか出産になりました。
今は、かなりのぽっちゃりさん。と言うか、ぽっちゃりを通り越してズッシリとした女の子になっています(;’∀’)2歳半で約17㎏なので抱っこがしんどいです( ;∀;)
あと二回目の妊娠中の反省は、「溶連菌」のこと。
一回目の妊娠中同様、二回目の妊娠中も検診過程で検査される「溶連菌検査」に引っかかり、薬をもらっていたのですが、こと時は再検査の時に陰性になっていなくて点滴をしたままの出産になりました。
一人目の時に「溶連菌陽性」と出た時は、調べていくうちに心配になることばかりでしたが、二人目の時は「またか」くらいにしか思ってなくて(;’∀’)
薬を飲んだら大丈夫と思っていたのですが、飲んでいたのに陰性にならなかったので、その時に「どうしよう~( ゚Д゚)」と不安になりました。が、点滴しながらの出産で無事に事なきを得て産後にようやく安堵しました。
で、この件ですが、一人目の時は陰性になったのになんでだろう?菌が強かった?っと疑問に思い、自分なりに考えてみたのですが、薬を服用していた期間の妊娠7~8カ月の間に仕事で新幹線に乗って福岡まで行き一泊したり結構ハードスケジュールだったからか?とか。
でも結局、後日、その宿泊の時に飲む予定で持参していたラスト一日分の薬が、財布の小銭入れ部分からでてきて、最終日に飲み忘れていたことに再検査の後日気づき・・・。時すでに遅しですよね(-_-;)完全に自分のせいです・・・(;´Д`)これで処方薬は忘れずに飲もうという教訓になりました。
でも、一回目の妊娠で学んでいたことはビタミンEだけではなく、「貧血」についても経験を生かすことができていました。
一回目の妊娠で血液検査をして、やはり「貧血が酷い」と鉄剤の真っ黒な注射を何回もされていたのですが、注射がとにかく嫌いなので貧血対策に「きな粉」をしっかり食べるようにしていました。
その効果か、二回目の検診は一度も注射されるとこともなく順調に進むことができました。
まぁ・・・体重急増のカロリー制限指示はどちらも出ましたけど・・・それはどうにもなりませんでした( ´∀` )
妊娠も出産も毎回勝手が違うもんですね。
毎回悩んで、対策して・・・。
それでも、上手くいくとは限らない。
100%完璧なんて保証はどこにもないんですよね。
早い妊娠、順調は妊娠期間、安全な出産、健康な赤ちゃん・・・。
これがトータルでスムーズに進むこと、完結できることは本当にミラクル。
赤ちゃんの誕生ってすごい未知数の確率だし、神秘的で。
赤ちゃんって、きっと生まれてきたことだけで選りすぐりの精鋭たちですよね。